| ウオルマートの時代 ロバ―トレスター著 |
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| 内容を見ていくと恐ろしくなりますねここまで差があるのかと感じる心が出てきます。 |
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| 創業者の中には通常はエゴから,自分無しでは会社がスムーズに動かないようにしようと躍起になるものがいる。それを死の願望とよぼう。恐怖によって育まれる不安と呼ぼう。つまり後継者が創業者より優れた成績を上げたらどうしようと言う恐れである。 こうした人物は自分の死後に経営に携わるべき経営陣の養成には決して手をつけない。次世代のリーダーを選ぶとしても自分に近い人物を選ぶ事が多い。さもなければ,自分のリーダーシップに問題があるため,修正に必要があると認めるような物だからだ。 サムウオルトンの偉大さは経営陣の選び方にあった。自分のビジネス哲学の根本の教えを守りつづけてくれる人々を選んだのだ。後継者問題に無関心な態度をとれば、招かれざる空白状態が生じかねない事を理解していたに違いない。 成功がはかない物であることを十二分に承知している、どの経営幹部も将来に対して自信がなさそうだと思われたくない、だが自信過剰と見られたくもない。 【わが社がナンバーワンだからという、理由で来店していただいているお客様にあった事がありません、お店にきていただけるのはお客様に相応の価格を提供しているからなのです】 ウオルマートの経営陣は自己満足による事業の停滞を恐れているのだろう。 顧客に繰り返し来店してもらうため,他社が取っている“ハイロー”戦略〔同じ商品をある日には高く売り,別の日にはセールと称して安く売ると言うやり方〕を避けた。 セールも特別価格もなく,安い商品を毎日提供したのだ。《エブリデ―ロープライス》その結果陳列棚の商品は飛ぶように売れたのである。 ウオルマートの新しい経営陣が率いるのは,まさしく小売業の帝国である。ある地域に新しい店が出るというデマが飛んだだけで,住民は衝撃を受ける。その影響は余りに大きいため政治家は特にウオルマートを規制する為の法律をつくりはじめている。 それほど強大で,影響力をもち世界に羽ばたく企業となれば,当然それなりの代償も払わねばならない。 代償はさまざまな形で、多くの思いがけない場所から請求される。最大きく,最目立ち,最重要な存在である以上,それを支払わないわけに行かない。ウオルマートにとっての代償は,紛争である。主な紛争は、ウオルマートが幾つかの地域に出店する際に生じた。始めは個人が,のちに抗議団体が。ウオルマートの進出を阻もうとしたからだ。ウオルマートが出来れば家族経営の小規模店や地元の商店街の売上が自動的に落ちるというのが相手の言い分だった。 ウオルマートの言い分! ウオルマートがあろうとなかろうと商店街の店はいずれ姿を消すことが十分な証拠からわかっている。そうした店は顧客の要望にこたえられないからである。 サムウオルトンは、ウオルマートを顧客とアソシエート(従業員・パート)を気づかう場、店の中にいる人々の生活水準を上げることだけを目標とする場とした。 サムウオルトンは、自分に活力と野心を植え付けたのは母のナンシー・リー・ウオルトンだと思っていた。彼女はやる気を引き出すのが上手で何をするにせよ,出来る所までやるようサムをはげました。彼の勝利への情熱は執念となりあらゆる行動を律するようになった。 父のトーマス・ウオルトンからは,懸命に働く事と正直である事の大切さを学んだ。 サムウオルトンは小売業について独創的なアイデアをもっていたわけではない。 彼の学習法は現場の声に耳を傾ける事であり,業界紙を読むことではなかった。 当初から競争に勝とうと,市場の知恵を巧みに収集した。 通りの向こうのライバル店を訪れ価格や陳列法をチェックし、自分の店に役立ちそうな情報を探した。 自ら考えずに他人のアイデアを拝借するからと言って,気にはならなかった。彼は悪びれる様子もなく。こう認めていた。 生涯を通じて自分がやってきた事のほとんどが他の誰かの真似だった。 |
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| 1945年9月1日アーカンソー州ニューポートの店をオープンした。バラエテイストア | |
| サム・ウオルトンは商業の未来が田舎町にあることを学んだ。田舎の住人が都会より高い買い物をする必要はないと考えていた。 配送が大変なうえ、大都市チェーンのように安くし入れられないから高く売られていた。 田舎町の人々を未開の消費者と考え大きなチェーンが進出しようとしない、ちっぽけな町を開拓した。彼が商売が大好きで大事なのは良質の商品を安く提供する事だと知っていた。そのため出来る限りの安値で商品を卸してくれるよう納入業者を説得できた時は大喜びした。結果として差額分を消費者に回せるからである。 1962年は小売業界にとってきわめて重要な年だった。ウールワースやシアーズと言った大企業が都市を席巻していたその年、3つの新しい冒険的事業が始まろうとしていた。 800の店舗を構えるバラエテイストア・チェーンのSS・クレスゲがミシガン州ガーデンシテイにデイスカウントストアを開店し,Kマートと名づけた。 経験豊かなF・W・ウールワースは,ウールコ・チェーンを始めた。 デイトンハドソンが最初のターゲットストアをオープンした。《40年後Kマートは倒産し,ウールコはもはや存在せず,ターゲットは利益をあげている物の,勢力圏も影響力もウオルマートには及ばない。》 ウールワースや・シアーズと直接対決するには規模も小さすぎ資金も足りなかった為,サムは田舎町にねらいを絞りつづけた。 サムウオルトンは田舎町は埋もれた宝の山,だと言う感触を持ち続けていた。実際に競争相手となるのは田舎町の商人だけである。 だが彼らは商品に高値をつけ,小売の経験も乏しく小さな店舗で営業していた。ウオルマートの創業にはこうした背景があったのである。 |
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| 1962年7月2日 弟のジェームズ、とベントンビルの隣アーカンソー州ロジャーズ、に自分達のデイスカウントストアの1号店【ウオルマート・デイスカウントストア・シテイ―――を開店した。】 |
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| サムウオルトン流の小売の秘密は,商品を一律に低価格で提供する所にあった。懐疑的な見方をする人はそんな少ないマージンでやっていけるはずがないと言い張った。サム・ウオルトンは利益を増やすにはむしろマージンを減らす必要があると信じていた。 こんな例をあげた。【例えば私がある品物を80セントで仕入れたとしましょう。私が発見したのはその売値を1$にすれば,1ドル20セントにする場合と比べて3倍の量が売れると言う事です。一つの商品についてみれば半分かもしれません。しかし3倍の量が売れるのですから全体としての利益ははるかに多いのです。】こうした価格戦略こそデイスカウントストアビジネスの本質だったのです。 彼はよくこう言ったものだ! 天井からつるせばなんでも売れる。普通の店と同じような場所に陳列していたら彼が仕入れた商品は殆んど売れなかっただろう。 店頭の商品にそんな風に工夫を加える。――サムウオルトンはそれを冗談めかして【いじくる】とか【おせっかいを焼く】とか言っていた。【私はいつでも独立独歩の人間です。現状を揺さぶり,ちょっとした混乱を作り出すのがすきなのです】 要するに失敗もあるということだ。だが彼はひるまなかった。時々間違いを起こしても問題はないと思っていた。【何かを改善し様とすれば多少の犠牲を払うのはやむをえないからだ。】 何よりも店内をできるだけ買い物のしやすい空間にするのが好きで、またそれが信じられない位上手だった。何と言っても彼は飛びぬけて優秀な興行師であり,自分でもそれを認めていた。 進むべき道を模索していたとは言え,サムウオルトンはこう気づき始めていた。本当に重要なのは店舗の、ぱっとしない外観でもないウオルマートに成功をもたらすのは近くの店と同じ商品を20%安く提供する事である。と実に単純な話なのだ。 ウオルマートはゆっくり成長しながらアーカンソー州北西部にまたがるデイスカウントストアチェーンとなった。続いてオクラホマ州・ミズ―リ州・ルイジアナ州へと進出した。ライバルは数百とあり全国的には無名の存在にすぎなかった。だがサムウオルトンは平然としていた。顧客を引き付け,離さないでおく方法はわかっていると思っていたからだ。 彼が依拠するのは次の3つの基本的信念だった。すなわち,充実した顧客サービスの提供・個人の尊重・優れた成果を求める努力,である。 1970年代の初め、ウオールストリートのアナリストはKマートがシアーズを圧倒し,20世紀後半の小売業を支配するだろうと予測していた。しかしKマートは業務改善へ積極的姿勢をとろうとせず、自己満足に陥っていた。 ウオルマートの思う壺である。 更にシアーズはウオルマートを無視した為,衰退を早めることになった。一方サム・ウオルトンはライバルを厳重に監視していた。価値ある情報を手にするためライバル店に入るや否やトレードマークの野球帽をとり、サングラスを掛ける事もあった。そのため【隠密小売商】というあだ名をつけられた。自分の店より安い商品を見つけると一番近くにあるウオルマートの店長に電話し,すぐに値段を下げさせた。 出店数が多いためにスプロールマート《不規則に広がる》への抵抗も起こった。 ウオルマートの進出により田舎町の小売商が衰退すると言うのだ。ウオルマートはこう反論した。そうした小売商の衰退はウオルマートのせいではなくそれらが顧客の要望を満たせなくなったためである、と サムは事業コストを出来る限り押さえる事に情熱を燃やした。その理由の一つ目はお金の節約がDNAに組み込まれていた事。 2つ目は彼がこう思っていた事でである。 事業を拡大するには建物と人件費に資金を使わねばならないのだから,それ以外の経費は全て低く押さえるべきだ。その為サムウオルトンは虚飾を嫌った。提案されるあらゆる経費に疑問を投げかけた。掛ける価値のある唯一の経費は顧客に商品を買ってもらうためのコストだと確信していたからだ。 店舗へ新しいテクノロジーを導入する為に投資するよう部下にせっつかれるとサムは顔をしかめた。 最新式の機器を殆ど信じていなかったのだ。結局の所そうした機器を導入すればそれを使う物と顧客の距離が離れてしまうと思っていたからである。 だが何よりも彼をいらだたせたのは従業員が一流ホテルに泊まったり、高級レストランで食事をしたりする事だった。そんなところで格好をつけてもコストが増えるだけで、安価な商品の提供によって顧客を店に引き寄せるためにはまるで役立たないというわけである。 従業員に組合を作らせないでおく方法として役員だけでなく一般社員を対象とするプロフイットシェアリングを始めた。従業員が会社の株に投資し,会社の利益の分配に預かるのを認めたのだ。 ビジネスとは、単純なものだと考えていたので,戦略が複雑になるのを避けていた。安く仕入れ,安く売る,棚には充分な品物を並べておく。顧客には親切かつ誠実に接する 彼はライバルが自分の店より安い商品を提供したり,魅力的な店舗を作ったりして優位にたつことをひどく心配していた。そして, 現状を揺さぶる事! 実験する事! 変化のために変化を起こす事!に重要性を熱烈に信奉していた。 彼の経営スタイルは次のような考えかたにもとづいている。 本社で過ごす時間が短かければ短いほど自分にとっても組織にとってもプラスになるというの である。 店で店長や従業員の声に耳を傾け、うまい知恵を授け,可能ならその場で問題を解 決すると言うのが彼の日々の過ごし方だった。週に3・4回店に顔を出していた。 最初の数年間 少なくとも年に一度はすべての店の出向いたのは確かである。一年を通じて何度となく訪れた店もあった。 週に一度本社でサムが開く恒例行事があった。“サタデーモーニングミーテイング”である。土曜日の2時から3時の間に彼は必ず本社にやってきた。 彼は人の意表をつくのが好きで出席者全員をはらはらさせるのを楽しんだ。 予告もなしに誰かを指名しウオルマートの為に何をしたかを説明するように求める事もあった。 単に部下との接触を保ちたかったというのが会議を開く理由の一部ではあったが,店舗と顧客にさまざまな貢献をする様各人に求めたかったのも確かである。 底辺流れている行動指針に【目標は他人の生活を変える事】 |
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