京の商い 33訓
第1、 真の商人はさきも立ちわれも立つことを思うなり
石田梅岩(江戸・享保期の京都の町人学者)

 こちらが儲かり、相手が損をするというのは本物ではない。そのため正直ということを大切にせよ。それから外れないために倹約の心を忘れるな−。 ここで彼のいう倹約とは「物事の無駄を省き効率を良くすること」を意味し、最低の費用や時間で最大の効果をあげるという、今日の経済原則のことで、これを商人道の原点として「万事、物の法に随うこと」と教えた。

  「商人が利潤を得ることこそ正直というものだ」。従って、価格破壊も自分の利益を度外視した安売りはすべきでない。お客様の認めて下さる売価−自分の利益=支払えるコストで十分価値のある商品やサービスの提供をすることが商人の道である。


第2、 たった一人のお客様こそ一万のお客様と思え
石田梅岩(江戸・享保期の京都の町人学者)

 石田梅岩が黒柳呉服店で手代から番頭へと取りたてられた四十五歳の頃、取引先の人々から「お話し言葉の論語」を聞かせて欲しいと頼まれ、「席銭いり申さず候。無縁にてもご遠慮なくお通り。お聞きなさるべく」軒行灯を出し「商人の道」を説く塾を開いたが、なかなか生徒が集まらない。

  やっと一人の熱心な弟子が出来たが毎夜一人のため「この寒い夜に、私一人のためにご講義されるのは勿体ない。今夜は休講にしましょう」と言ったところ「一人も居られずとも私はやるつもり、おぬし一人が千万人とも思はれて、私はかたじけないのだ」と答え「たった一人のお客様にこそ一万のお客様と思え」と日常の商人の心構えを教えた。


第3、 忍の字は身の内の主(あるじ)なり
福田家「家訓」

 対顧客と対応するときは「堪忍」の心構えが最も重要である。この「家訓」は次の様に続けている。

 「不断に七情の客来あり。よく考え、いずれも忍のあしらい方第一、その品々しるしがたし」

 七情とは、喜、怒、哀、懼(く=おそれ)、愛、悪、欲の人情をいう。つまり、いろいろな性格の客がくるが、相手の性格をわきまえて対応する。 自分は決して腹を立てず、客にも腹を立てさせるような振る舞いをしてはならない。  堪忍とは耐え忍ぶこと。わが身、わが心の勝手に打ち勝つことである。 「堪忍は一生の宝」ともいわれている。


第4、家を保つ道は勤と倹とにあり
福田家「家訓」

 家名の存続、家業の繁栄を図る道は、まず勤勉に働くことである。そして、倹約に努めなければならない。

 企業経営において、勤勉に働くことの大切さは、古今東西を問わない。西洋のことわざには、「勤勉は成功の母」があり、千吉家「家訓」も「専らはたらきを求めて、一気に勤むべし」と説いている。

 倹約の考え方は、京都の企業が共通して持つ経営哲学である。京都人の徹底した倹約精神は、ときには「ケチ」と悪口されるが、千年の都の歴史と風土がはぐくんだ生活の知恵である。「備えあれば憂いなし」「入るをはかって出ずるを制する」という考え方は普遍性を帯びている


第5、なるたけ質素に暮らし申すべし 定りたる事を無理に減じるは悪し
西村彦兵衛家「家訓」

 暮しはできるだけ質素にすること。しかしながら、昔から決まっていることがらまで省くのはよくない。

 京都の町人の倹約第一の生き方は「京の人は細なり」などと、江戸時代の書物にもとりあげられている。多くの老舗の家訓が倹約の哲学を説いているのは当然だ。とはいえ、倹約が行き過ぎて、ケチになってはならないとクギをさしている点を見逃してはならない。

 倹約がケチにならないために、西村家「家訓」は「身分に過ぐることをせぬよう」戒めている。また、向井家「家内諭示記」は「倹約の第一はわが身の不自由をかんにんするにあり」と記している。


第6、心だに誠の道にかなひなば 祈らずとても神やまもらん
向井家「家内諭示記」

 家の継承、家業の存続を望むのであれば、家業には誠の気持ちで取り組まなければならない。そうすれば、神に加護を祈らなくても、神の方から守ってくださる。

 金とか、財産は生活のための手段である。商いにおいて大切なのは誠の姿勢、「正直・正路」の生き方である。

 石田梅岩はことのほか正直な生き方を強調しており、商人道は正直の徳以外にないと考えていた。梅岩の流れをくむ京都の老舗の家訓には「正直」を重視したものが多いのもうなずける。矢谷家の家訓では「無理に利をむさぼれば、かえって財を失い、災いきたるのもとなり」としている。 (「老舗と家訓」)


第7、先義 後利
大丸百貨店の社是

 初代下村彦右衛門が大丸の商魂を表現するものとして、1736年(元文元年)に掲げたもの。

 文字通り、義を先にして、利を後にするという意味で、狭くとらえると正しい筋道を守った商売をやること。より広くとらえてみると、国や公共のためになるよう心がけて商売をする(社会への貢献)ことを優先する。そうしたら後から利益が生まれてくる、利益がついてくる。又は、利益を考えるのはその後である。といった趣旨である

 ところが普通の場合はこの逆をやっていることが多く、何でもかんでも利益を優先し、正義・道理は後に放置されたまま、ということが多いのである。  (H8・1・4日経流通新聞)


第8、 商品の良否は明らかに、これを顧客につげ、いやしくも顧客の貧福貴賤によりて差等を付すべからず
飯田新七(高島屋の祖)

 よい品物は良いといい、悪い品物ははっきりと悪いと告げる。嘘をついてはいけないというのが前段。後段は、客の服装だの身分だので分け隔てするのは良くない。お客様はすべて公平に扱うべきである、との意味である。これらの考え方が江戸時代に言われたことであるから、さすがに高島屋百貨店の創業者だけあって、かなり進んだ姿勢を示していると評価できよう。

 その他にも、確実なる品を廉価にして販売し自他に利益をはかるべし、正札掛値なし、なども家訓として掲げており、適切なる着眼点は見事である。

 なお、標記の家訓(前段)も正確には「・・・顧客につげ、一点の偽りあるべからず」と続いている。 (H8・1.4日経流通新聞)


第9、創業は易く守成は難し
呉 兢(中国・唐代の歴史家)

 環境変化が著しい中、商売を維持する努力を考えれば、新たに事業を興す方が、楽であるというような意味である。

 事業を興すのは外部との戦いであるが、維持することは内部(自分や店員等)との戦いであるからである。

 しかし、事業を興すことだけが創業ではない。「創業の精神で」と最近よく言われる通り、維持努力する中で常に積極的にプラス発想で、他店と競争することは創業と同じ効果が期待できる。

 戦略書等にも、戦闘指揮に関し攻撃しなければ勝てないと、多々書かれている。防御ばかりしていては、所詮うまく行っても現状維持であり、発想が消極的となり、後手後手に回ることになる。(「貞観政要」)


第10、考え方の原点は、まずお客様に求めなければならない
伊藤雅俊(イトーヨーカ堂創業者)

 「お客様中心や」や「お客様第一」といった言葉はどこでもよく言われているが、心底から「お客様大事」と考え、かつ実践している経営者は少ないのではなかろうか。

 本当のCS経営(お客様満足経営)とは、あくまでもお客様側から客観的に経営を見て考え、お客の完全な満足を追及する経営であって、自社の立場から、自社の経営手段としてお客様を考えるものではない。

 お客様が期待しているものを、相手の身になって忠実に、タイミングよく提供していくことが商売の発展につながっていくのである。 また、どうすれば喜んでもらえ、どういう接し方をすれば満足願えるか、つねにお客様を第一に考える店が繁盛していくのである


第11、大利の在る所は、大禍の伏する所なり
頼 山陽(江戸後期の儒学者)

 利益が大きければ、リスクも大きいということである。我々はこの単純なことを、時々忘れてしまうのである。

 バブル崩壊で四苦八苦している人たちの大半が、そうであったのではあるまいか。

 利益の大きさばかりに目を奪われて、リスクの大きさを忘れてしまう、あるいはリスクを出来るだけ小さいものと思い込もうとするのである。 何はともあれ、バスに乗り遅れたら損だとばかりに、周囲の諫言にも耳を貸さずに飛び乗り、大事故に巻き込まれてしまわぬよう、十分な準備と注意が必要である。(「日本政記」)


第12、無理と身勝手とをやめれば疑いなく安心になって繁盛する
佐竹家「家業一枚起請分」

 道理に合わない商売や、我が身勝手な行為を慎むと、安心して暮らせるし、家業が繁盛することは間違いない。

 売り上げがのびないといって値下げ競争に走り、逆によく売れると見れば値上げして利益をむさぼる。こんな商いをしていると、目先はうまくいっている様に見えても同業者にさげすまれ、消費者の信用を失って、やがて苦境に陥るのは必定である。

 矢谷家の「家訓」では「無理に利をむさぼれば、かえって財を失い、災いきたるのもとなり」と、強欲な商いを戒めている。
 家業の存続を願うなら、無理した商法は禁物である。(「老舗と家訓」)


第13、品物を吟味して濫造せざること
川端道喜

 十五代川端道喜は、代々このように申し送られている、という。

 これは決してたくさん作るな、という意味ではなく、乱れた作り方をするな、という意味である。

 たくさん作れば、目が行き届かなくなって駄目になるとも言えるが、決して合理化がいけない、ということでもない。

 これからの時代にみあった生き方を、その代その代の人が考えていくことである。(「和菓子の京都」岩波新書)


第14、他国へ行商するもの総て我事のみと思はず 其の国一切の人を大切にして、私利を貪ることを勿れ
(近江五個荘 中村治兵衛家「家訓」)

 売手によし、買い手によし、(顧客大事)更に世間によしという三つめが近江商人の特色である。

 江戸時代中期以降、各藩は特有の産物の生産を奨励し、特に東国で生糸・絹布・紅花などの生産が盛んでそれを上方に運び、東国の生産振興に貢献したので、入国禁止どころか大いに歓迎され、江戸での活躍が許された。これが「世間によし」の意味である。 明治以降は近江商人は近江の地をはなれ「商場」に住所を移すことが多かったが、ボーダレス時代日本企業の海外進出が盛んになる今日、大いに心すべき教えである。


第15、 物には時節
井原西鶴(江戸時代の浮世草子作者)

 何事もタイミングを間違えてはいけないというような意味である。

 商品を店頭に並べるにも、タイミングが重要である。季節性の乏しい商品であっても、曜日により、天候により、時間により、よく売れるタイミングというものがある。また店頭から商品を引き上げるタイミングも重要で、これらをコントロールするには、常に自店の商圏や客筋等の状況を、把握しておかなければならない。

 商談の場においても、相手が商品特性に興味を持っているのに、値段の話をしても、デザインの比較をしているときに、機能の優秀性を訴えてみても、うっとうしいと思われるだけで、販売の効果は期待できないのみならず、信頼を失うことにもなりかねない。(「日本永代蔵」)


第16、 満足した顧客は、最もよいセールスマンになる
ことわざ

 ある店で購入した商品やサービスに満足した客は、その後再びその店を訪れるだろう。また、自分の満足感を周囲の人に伝えることで、新しい顧客開拓の役割を果たしてくれる。

 商品は商品、サービスを売り込む際には、チラシや広告を使ったり、販売員の呼び込みで対応している。一方、商品選択を客の立場から見ると、自分の目で確かめるほか、友人・知人から聞くうわさが結構大きな比重を占めている。

 商品、サービスの満足感が高いほど、固定客になってくれる確立は高い。逆に満足感を与えられないと、再度訪れないばかりか、店や商品の悪口を言いふらし、潜在顧客まで逃がす。

 商店が気をつけなければならないのは、客の評判である


第17、 将を射んと欲すればまず馬を射よ
ことわざ

 使い古された感もあるが、目的(将)と目標(馬)を明確にすることが肝要である。

 目標とは当面の攻撃目当てであるが、しかしそれに熱中するあまりに、目的を見失ってはいけない。

 最近小マダム市場の元気がよい。この場合「将」は経済援助をしている親(母親)の懐であり、「馬」はその娘である。目標(娘)に気に入られない商品は目的(母親)の懐まで行き着けないが、気に入られただけでは金にならない。

 CS(顧客満足度)という言葉が流行っているが、一体だれの満足を満たせば商品が売れるのか。だれが自店にとって将であり、馬であるかの見極めが肝心である。


第18、 元銭商(もとせんあきない)は上商(じょうあきな)い
ことわざ

 「元銭商い」とは元金を損しない程度に、ほどほどに儲けることで、「上商い」とは丁度良い商売だという意味である。

 元手をかけたからうんと儲けたいのは人情だが、余りに欲張って百円でも多く儲けようと無理をしてはいけない。

 人生も、商売も、ほどほどで満足することの大切さを知り、地道な努力を続けることが必要だと教えるものである。


第19、 知らぬ米商売より知った小糠(こぬか)商い
ことわざ

 儲かるからと言って、知らない商品に手を出すより、利益は少なくても手慣れた商いを手堅くやるほうが確実ある。

 バブル期には土地開発などに手を出し、事故を招いた人も多かったと思われる。これは異常な経済環境下での事と片付けられない。いつの時代であっても、事業失敗の一つに新規事業投資の失敗がある。

 事業革新や拡大の手段として、新規事業への進出は常に考えなければならないが、隣の芝生は青く見えるのたとえの通り、儲かる(らしい)からと軽率に手を出すのは考えものである。 新しいものに飛びつくよりも、まずは自分が今やっている商売の中に、成長の要素がないかを検討することが、肝要と思われる。


第20、 顧客サービスの第一は常に情報を提供することだ
トム・ピーターズ (アメリカの経営コンサルタント)

 トム・ピーターズは「お客様に情報を提供する」そして「絶えず情報を提供する」ことが非常に重要であると言っている。

 情報を収集し、それを解釈することで状況を把握したいという欲求は人間の最も強い心理的衝動であるというのである。この人間社会で最も強力に働く要因を重視すべきである。 顧客に取り扱い商品の特徴、効用、使い方、欠点、注意事項などについて説明すべきである。もし、納期が遅れたら、その理由を説明し、いつ頃入荷するかを顧客に伝えよう。 生活と心の豊かさを求める成熟期に対応し、単にモノを提供するだけでなく、「ふれあい」を通じて、顧客に生活・情報提供し、お客様との交流・共感を高めるコミュニケーションの提供者となることが大事である。


第21、 貧も富も我一心にあり
(近江五個荘 中村治兵衛家「家訓」)

 「貧も富みも我が一心にあり、悪心起らば家を保つこと能ばず、家を我子に譲るまでは僅かに三十年なり、其の間は謹んで奉公の身と思ふべし」

 店を相続(当時は家督相続であった)してこれを守り、次の代に無事に譲り渡すということは、主人(経営者)として最大の責任であって、相続した財産は決して私しせず、御先祖様からの預かりものとして店を公と考え、家業にはげみ、御先祖様への奉公をつくすことが店を守り、御先祖様への報恩になるという教えである。

 均分相続に変わった現在では家・店・奉公への考えも変わったが、あきんど発祥時の心意気の一つとして参考にしたい。


第22、 やってみせて 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば人は動かじ
山本五十六(元連合艦隊指令長官)

 人の扱い方の真髄を説いた言葉である。

 自分が模範を示し、わかりやすく説明したりするとともに、実際にやらせてみる。そして、やらせた後にうまくいった場合には、ほめるようにするのが、人を動かすコツであると言っているのである。

 また、同様のことを、三洋電機の後藤清一氏は「部下指導のコツは『五たい』をくみとることだ」といっている。

 『五たい』とは,次の五つのことである。
 一.関心をもたれたい 二.理解されたい 三.認められたい 四.信頼されたい 五.可愛がられたい

 上の五つは部下の心理をよくあらわしている


第23、 二つの矢を持つことなかれ 後の矢を頼みて始の矢になおざりの心あり
吉田兼好(鎌倉末期の歌人)

 「徒然草」の言葉である。矢が二本あると、どうしても後ろの矢をあてにして、第一の矢をなおざりにしかねない。

 何事においても「チャンスはこの一度しかない」と思いさだめてことにあたれば、力を集中することになり、その気持ちが成功へと導く。そして、第一の矢に集中力で臨んで、万一、的を射ることに失敗したとしても、その失敗の原因を反省し、修正することによって、第二の矢で成功する確率が高くなるのである。

 事を成し遂げる秘訣は、一つのことに全力を集中することである。また、最も重要な仕事から一つずつ片づけていくことである。 何がいま一番重要であるかを決定するのは社長や店長の任務である。そしてその店主の決心は店の運命を左右するのである


第24、 苦は楽の種、楽は苦のたねとしるべし
宇佐美松鶴堂「家訓」

 今苦労しておくと、将来を楽にすることができる。逆に、いま楽をしていると、将来苦労するおそれがある。

 むかしから語り継がれてきた教訓を「家訓」にとり込んだ。同じ家訓で「欲と色と酒は敵としるべし」「朝寝すべからず、咄(はなし)の長座すべからず」などとも教えている。 苦労はしたくない。できれば、楽して過ごしたいものだ、とだれもが願っている。が、そうはいかないのが世の常である。苦難に打ちかつ精神を養うため「若いときの苦労は買ってでもせよ」といわれてきたが、ベンチャー精神が求められる今、若い店主にもう一度かみしめてもらいたい言葉だ。(「老舗と家訓」)


第25、 用心は無事なるうち
江島其磧(江戸中期の浮世草子作者)

 事が起きてから用心をしても遅い、と言うことである。

 事が起きる前に、予測し計画を立て十分な準備をしておかなければならない。

 そのためには日頃から自分の商いを取り巻く環境の変化、法律や規則の変更・緩和等の状況について知っておかなければならない。 そこまでしないにしても、競合店が商圏の変化に対応して、店舗のリニュ−アルや品揃えを変更したため、自店の客だと思っていた人達が、競合店に取られてしまったと嘆いても手遅れである。

 急遽手を打つことは重要であるが、後手に回った分を取り返すことは、なかなか容易ではない。 (「浮世親仁形気」)


第26、 金がなければ知恵を出せ 知恵がなければ汗を出せ
井原西鶴(江戸時代の浮世作者)

 元禄の時代を生きた商人であり作家であった西鶴は、長者丸という薬を調合した、と言って商人道を示している。

 この薬は四つの成分から形成されており、
 始末――節約のこと。ケチと倹約がある。
 算用――勘定や財政のこと。
 才覚――工夫、自己努力のこと。
 信用――店の生命は信用であると断言。

 ここに掲げた一文は才覚に入っている。「いくら始末をしても勘定が合わない時に、それをどう工面するかという自己努力」を才覚というとしながら、標記の一文に続いている。 いずれにせよ、計画を立てて、それを実行に移してみる。スンナリとうまく運ぶことはなく、何らかの壁にぶつかるだろう。 そこに事態解決のための工夫、努力が必要であるのは、今の時代とて少しも変わるところはない。(H8・1・4日経流通新聞)


第27、 世界にこわきものは、酒の酔と金の利にて御座候
井原西鶴(江戸時代の浮世作者)

 この世で怖いものは、酔っ払いと借金の金利だという意味である。

 酔っ払いは何をしでかすか分からないし、借金の利息はほっておいてもどんどん増えていくのである。

 酒も借金も飲む(する)ときには、決して飲まれない、深みにはまるまいと思うのであるが、ついつい度が過ぎてしまう危険性を持っている。しかし酒も飲み方を間違わなければ百薬の長、借金も明日の稼ぎの肥やしであり潤滑剤である。

 要はその用い方に計画性を持ち、迂闊に深入りしない強い意志を持つことが肝心である。

 商人たるもの、何はともあれ前後不覚に陥っては大変である。 (「万の文反古」)


第28、 泳ぎもせず 漕(こ)ぎもしないで 一生を終わるな
赤根祥道(禅の研究家)

 やる気のない、若い社員には困る。1.わからない(意識がない) 2.気がない(関心がない) 3.知らない(知識がない) 4.できない(技術がない)この四つの「ない」を克服しなくてはならない。

 光陰矢の如し、一生は長いようでも短い。

 思いついたが吉日と、まず実行に移そう。そして実行しながら覚え、上手になり、自ら成長して行けるものである。

 一度きりの人生を、一生懸命に生きよう。死ねばすべてなくなるのだ。


第29、 銭といふ字は、金に戈(ほこ)を二つ書く
岩垣光定(江戸・宝暦期の町人学者)

 一つの金を二つの戈で争うと言うような意味である。今の世の中、商人のみならず、誰もが金が欲しい(あるいは使いたくない)と思っている。それだけに儲けることは難しい。

 特に価格競争が激しくなっている現在、皆と同じ商いの仕方、商品を取り扱っていたのでは、息切れすることも考えられる。

 儲けようと思ったら、他とは違う方法で金儲けを考えればよいと言うことである。

 すなわち逆転の発想、ニッチ市場の開拓、新分野進出等、市場や消費者に柔軟に対応し、争いを避ければ儲かるということになろうが、言うは易く行いは難しであろう。

 やはり今流行っているもの、活況を呈している市場に参入したいのが人情である。 (「商人生業鑑」)


第30、 己が勢い七、八分と覚るときは止むべし
岩垣光定(江戸・宝暦期の町人学者)

 商売が波に乗り大いに儲かっているときは、行け行けドンドンと積極策を取るが、よほど注意しないと危ないと言うことである。

 頭では分かっているのだが、えてしてこの落とし穴にはまるケースが後を絶たないのが、現実であろう。

 自分を過信し有頂天になった挙句、たまたま時が味方していてくれていたことを忘れて暴走してしまう。こんな人間の弱さを反省させられる言葉である。 バブル期、誰もが自分は投機の才覚があると、錯覚したのではあるまいか。

周りの人の諫言に、いつも耳を傾けられる心の余裕を失いたくないものである。(「商人生業鑑」)


第31、 彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず
孫 武(中国・春秋時代の兵法家)

 言い古された言葉ではあるが、現代にこそ役立つ言葉である。

 今や情報戦の時代である。近くに大型店や競合店が出来てから騒いでいるようでは、何をか言わんやである。これでは戦う前に勝敗は見えている。 とは言え、遅まきながらでも日々の活動の中で、相手の品揃えや価格の動向、あるいはサービスの提供状況をつかんで、対策を立てることはできる。

 一番難しいのは自分の姿を知ることである。自分を分析することは痛みが伴うのでたいていは曖昧なままになる。

 戦わずとも、自分の強い点は伸ばし、弱い点を補う対策は、日頃から心得るべきである。(「孫子」)


第32、 借金を返す者は、信用を倍にする
ユダヤの格言

 商売をする上で仕入先や販売先のみならず、いろいろな人に世話になる。それにきちんとお礼を返すことで、信用を築いて行けるということである。

 借金とは金銭的なものだけではない。人が店に来てくれたこと、物を買ってくれたこと、役に立つ情報を提供してくれたこと等など、全て借金と考えれば、「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と言う挨拶によるお礼から、はがきや手紙によるお礼、FAXや電話等によるタイムリーな情報のお返しまで、いろいろな借金返済の方法はある。

 もちろん借りたお金は、約束通り返済することは言うまでもない。


第33、 和を以って貴しと為し、忤(さから)うこと無きを宗とせよ
聖徳太子

 なかよくすることが何より大切なこと、貴いことである。

 そのためには、あえて逆らうことをしないよう心得ねばならないくらいの意味である。この有名な言葉は企業においてもかなり掲額されているところが多く、日本の企業の集団主義を表現しているものとも言えよう。

 次に、「和」の内容であるが、論語に「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という名句がある。

 君子は人と交わるのに、できるだけ親しくするが、決して自説をまげて付加雷同するようなことはしない、という意味である。

 聖徳太子の和も、そのような系譜をついでいる「和」である。